百八記blog

はてなダイアリー「百八記」から引っ越しました。相変わらずの、がさつずぼらぐーたら。

好きなところは些細なところ(かも)

今朝ほどついったに細切れで上げてしまったのでまとめておきます。

昨日の歌舞伎座夜の部「伽羅先代萩」通し、冒頭の花水橋で、なんてことない、ほんの数十秒の場面なんだけど、紋付着てるから侍で、梅玉扮するお殿さまを襲う名もない暴漢のひとりが、襲いかかって梅玉の下駄に気付き、その匂いを嗅いで、そっと持って逃げようとしたところを梅玉の威光に打たれて畏まって下駄を戻し、また暴漢に戻る一連の流れがあって、それを観ていてしみじみと、ああ私が歌舞伎を好きなのは、こんなところを生身の人間がやってみせてくれるからでもあり、それはとても大きな要素だなあと、今更ながら感じ入ったのでした。
ほとんどが他の芝居でも使う型で、この芝居独特なのは下駄の匂い嗅いで持って行こうとするところだけど、それも伽羅を印象付ける型で。1人の脇役が、暴漢から匂いを嗅ぐ滑稽な男、欲に駆られて下駄を失敬してしまう盗人、威光に打たれて震え上がる小人、下駄を履かせる臣下、また暴漢という目まぐるしい役の性格の変化を型の中でするすると演じてくれて、中央にお殿さまが悠然とあることを少しも妨げず、際立たせ、まことに哀れで可笑しい。そしてそれら全て、生身の人が演じ生身のこちらが見ることで、毎回新しい。ということが、しみじみと嬉しいと思ったのでした。

歌舞伎ってどこが面白いの?誰が好きなの?と訊かれることがたまにあって、誰がには役者全員だし特に好きな役者もいるから答えられるんだけど、どこがってのは今書いたようなところだったりするので、答えづらい。もちろん他にも好きな要素はたくさんあるんだけど。
歌舞伎に連れて行ってもらうようになって面白いとはっきり認識したのも、梅玉が舞台の中央にいる時だったなあ。「江島生島」で梅玉の生島、うわあっこんな男(色男で金も力もなくて、おっとりと狂ってて、気の毒でかわいい)現実に居たら大嫌いなのに、なんでこんな素敵かなあ!って。
梅玉のことは、そりゃ役者の中ではどちらかというと好きな方だしクレバーでおかしみがあると思ってるけど、きゃー梅玉さまが出るならアタシ何が何でも観なくちゃ!ってほど好きなわけじゃない。でもなにかをしょっちゅう私に自覚させるんだなあ。