百八記blog

はてなダイアリー「百八記」から引っ越しました。相変わらずの、がさつずぼらぐーたら。

歌舞伎座 昼の部 夜の部

仮名手本忠臣蔵ですよ〜!やっぱり元禄よりこっちのが芝居らしくて好き…。いえ元禄は元禄でいいんだろうけれど。
三連休を利用して、一昨日は昼の部(大序、三段目、四段目、道行)、昨日は夜の部(五段目、六段目、七段目、十一段目)でした。もっとも昼の部は、通院があったので三段目からの観劇となりました。ニガイメさんの日記を見ると、大序が良かったようで、残念。 http://blog.goo.ne.jp/nigaime/e/eab77fe5be721902342d710654cf3fcf
以下に、通して感想を。…長くなりそう。
あ、まだ舞台写真が出てなくて、ちょっと寂しかった。今回は全体的に菊五郎を大いに見直した(いやまあもともと、わりと好きですよ)ので、一枚ぐらい菊五郎の写真を持っておくかと思ったのですが。

  • 三段目

菊五郎の塩冶判官、富十郎高師直ともに、達者な芝居をたっぷりと見せてくれて、大満足です。
また、吉右衛門が若狭之助という配役は、直情径行のお役だけに、正直、ん?ちょっと合わないんじゃない?と思っていたのですが、「ばば、ばかなさむれえだッ」の一言に、若さ潔さやりきれなさが集約されていて、意外な良さでした。この台詞、思ってたより深いのかも…。

  • 四段目

ここへきて、いつもはわりあい騒がしい場内が静まりかえります。菊五郎の塩冶判官の無念、哀切。
芦燕の九太夫は、演技も巧妙。このひとはもっともっと面白くなる人なんだろうなあ。力弥を梅枝さん、見るたび背が伸びる…いったいどこまで大きくなるのか(^^)ずっと声変わり中で辛そうでしたが、声の調子がよくなってきたようで、今後に期待です。猿弥の倉橋伝助、儲け役ですが、これは良い!!舞台の大歌舞伎らしさを引き立て、また自身も輝く存在感で、おっ、と思いました。猿弥はもっともっと出てほしいですね。
残念だったのは肝心の幸四郎。あまりに由良之助が泣きすぎては今後の進行に障るのではないですか。ニガイメさんの感想とは私は少し違うのですが、あれは泣くことで人間味を表そうとしたのではなかったかと…それでもやや酷薄な印象が出てしまったのは、腹の底まで主人の死を重いものとして受け止め、飲み込み、今後の修羅の道を覚悟するだけの、仇討ちに踏み出すまでの心の動きの確かさが見えなかったためではなかろうかと。泣いてばかりではどうにもならない、血の涙を五臓六腑で流しながら主家を去る…というふうが欲しかったです。

  • 道行

お軽勘平。まず時蔵のお軽が存分に可憐、踊りも素晴らしい。梅玉の勘平も、あの明るい風景の中で死に傾いていく様子が、とても美しく、翌日の夜の部の勘平(菊五郎)にすんなりつながる情味も好もしい。
翫雀の伴内は、なんといっても動きがよく、まあ敵役ではありますが、三階席からは愛らしい人形を見るような風情でした。全体に舞踊として見どころの多い一幕でした。

  • 五段目
  • 六段目

配役を見て、え?梅玉が定九郎で菊五郎が勘平?まあ不思議は無いけれど、私は逆のほうがいいなあ…と思ったのですが、これはこれでなかなか!
梅玉の、もとはぼっちゃん育ち、という感じが上手いこと生かされたようです。ただ、定九郎好きな私には少し食い足りないというか。もっと、こっくりと暗さが欲しいというか。
しかし菊五郎の勘平で、今までの勘平へのイメージが少し変わりました。私は今までは勘平は、どこまでも死に取り付かれた、払っても払っても死から逃れられない運命の男…と思っていたのですが、今回は、もし千崎弥五郎(権十郎)と出会っていなければ、常に自らを責めながらも、侍くずれの猟師として五十ぐらいまでは生きられる命だったのではないかと。お軽、おかやへの接し方といい、庶民としても生きられる自分を発見しつつあったように見られ、その道筋が「忠義」という二文字によって中断される悲劇が、胸にせまりました。
吉之丞のおかや、悩乱のなかでの心のつけかた、心細さ、哀れさ…絶品!玉三郎のお軽も、この段では始終抑え目の演技で、周囲を引き立てます。このひとは緩急のつけ方が本当に上手い。
また時蔵の一文字屋お才、熟年の、やりての、ウキウキと上調子の女の感じがして、芝居を進めていく重要な役どころですが、舞台全体を覆う重さ暗さとの対比がくっきりと出て、とても良かった。
この六段目は是非、なるだけ多くの人に見てほしいと思います。

  • 七段目

幸四郎には申し訳ないけれど、吉右衛門の由良之助は非の打ち所がありません。
仁左衛門の平右衛門、良かった…(呆然)。独自の平右衛門かもしれない。お軽に問われて、とぼけながら「勘平か、勘平はなぁ…」と言いはじめるまでの表情が、ちょっと説明的ではあるけれど、特に良い。懐深く、情があって、色気もあって、妹可愛さと手柄立てたさとがせめぎあって、一幕のうちに人間のいろいろな表情を見せてくれます。
玉三郎のお軽は、いつ見てもこれまた文句なし。安定しています。あまりに上手いので、化粧や強い照明が却って邪魔なぐらい。もっと不細工だったら演技の上手さも一層際立つんじゃないかと思うほど。兄に請われて「こうかや…」と、立って見せるのが、その美しさで場内に笑いが起きるってすごいなあと思うのです。また、六段目までとは異なって、兄の前で妹に戻るあどけないところと、夫を思う心のうちで、「勘平さんが、もしや…」というような、一抹の不安のよぎる一瞬と、その直後の訃報に接してから飲み込むまでの数秒の、体全体の表情が八方から針で刺されているようで、やわらかく痛々しかった。
しかし、この幕と次の幕、児太郎さんが力弥なのは、ちょっと残念。いくらなんでも子供すぎます、無理です。児太郎さんが悪いのではなく、出した人の責任。
あ、そうそう、これは本筋とは関係ないけれど、見立て「どうじゃいな」で三連休は上手かったなあ(笑…見た人にだけわかる記述、ごめんなさい)。場内が遊びに誘い込まれて、わっと沸きました。

  • 十一段目

まあここは、どうやっても、ものすごく良くも悪くもならないところでしょうと思っているので…
歌昇の小林平八郎、奮迅のはたらき。ほかもチャンバラが良く出来ていました。