百八記blog

はてなダイアリー「百八記」から引っ越しました。相変わらずの、がさつずぼらぐーたら。

歌舞伎座

3連休のうち2日間を使って、銀座に宿をとって夜の部-昼の部観劇。いやーラクチンねえ。ワンルームでいいから銀座に拠点が欲しくなっちゃったな・・・。

9/13(土)夜の部

  • 盛綱陣屋

充実の、堂々の大舞台!吉右衛門の盛綱はますます味わいを深くし、偽首を本物だと言い放った後の、清々しい表情がまた良い。ここぞというときの決断の、真の自由は、こんながんじがらめの状況であっても発揮され得るものと知る。周囲の役者も手堅い。私にとっての驚きは玉三郎の早瀬。あまり合わないような気がしていた。武家の倫理そのもののような女性で、面白みのない役だと思っていたが、はじめて早瀬を人間として興味深く感じた。玉三郎の表情豊かな身体表現の賜物と思う。松緑、台詞がぐぐんと良くなっていた。宜生ちゃんの小四郎、上出来。

  • 鳥羽絵

富十郎丈の円熟。大ちゃんこと鷹之助くんの成長。楽しい、お土産にしたくなるような舞台でした。写真買っちゃった♪

  • 河内山

吉右衛門の河内山は相変わらず良いのですが、舞台全体としてはいまひとつ、抜けが感じられない、釈然としないものでした。

9/14(日)昼の部

どうもこの手のは苦手なのですが、前回の立志篇も今回も、楽しく観ることができました。染五郎は実に実に、二枚目半が似合う。土佐弁も全出演者中、最も達者。今回特筆すべきは亀治郎おりょう。京の町娘の洗練と「はちきん」と揶揄される元気のよさ、心の広がりが、余すところ無く活写されて、惚れてしまいそうでした。松緑の中岡の若さも良かった。

  • 逆櫓

上出来。芝雀が、ともすればおっちょこちょいで考えなしになりがちな難しいところを、持ち味の清純さでうまく持ちこたえていた。「ありようは、そうしたかったのじゃ」で歌六に泣かされた。夜の部の盛綱もそうだけど、歌舞伎には子供の死ぬ芝居がけっこうあって、このごろはしょっちゅう泣いてしまう。「ひぐち、さらば」でも泣いてしまった。能もそうだが、歌舞伎も、子役には必要以上に棒読みさせる伝統がある。つまりそこに子供の人としての個性をあまり出させず、「子供」という抽象的な概念を、透明感のある音として聞かせているかんじ。

  • 日本振袖始

初見。やまたのおろちの舞踊です。赤い振袖の玉三郎が、髪をさばいたあたりから、中性としか言いようのないナニモノかに変貌していく。バケモノやらせたら右に出るもののない玉三郎・・・福助連れて引っ込むところはねっとりと暗くてやらしくて、いい。闇の輝きとでもいうようなものがある。蛇になってからも工夫が効いていて、ほんとにおろちに見えました。あっ、余談だけれど、すぐ近くに座っていたひとがこっそりと「あの足袋、カワイイ♪」って言ってた。ほかの7つの首のひとびとがはいてたウロコ柄の足袋、たしかに・・・どこかで手に入らないものか。