百八記blog

はてなダイアリー「百八記」から引っ越しました。相変わらずの、がさつずぼらぐーたら。

歌舞伎座 昼の部

まいど一日遅れでお送りしております日記でゴザイマス(^^;
今月は、初代中村吉右衛門生誕百二十周年ということで「秀山祭九月大歌舞伎」というタイトルが。「秀山」は、初代の俳号です。俳号を持つ役者はけっこういそうですが、秀山は歳時記にも載るような名句を残していらっしゃいます。
病をおしてまで(笑)足を運びましたのは、ひとつには、秀山の孫にあたる幸四郎吉右衛門の兄弟が「寺子屋」にて松王丸と武部源蔵で共演との事で、がっぷり四つに組むやうな芝居を見せてくれることを期待して。それと、演目全体的に古典が多く配役も良く、観逃してはならないかほりが漂っていたもので。
開演前にお弁当を買う。いつもなら短い幕間に外に食べに出るのですが、席が三階なので、慌てて昇り降りしていては体力消耗に繋がると思い。配偶者がおごってくれるというので迷わず弁松さん(ちゃんとお弁当の味がする。変な手をかけずしっかり美味しい。大好きだ)の高いほうのお弁当をリクエスト(^^;)ありがとうごちそうさま。
で、肝心のお芝居のお話。

  • 車引

染五郎の松王丸が(てことは親子で松王丸やったのか。面白いな)秀逸。顔も声もいいし演技力も確か、なのにイマイチ地味目だった染五郎ですが、ここんとこ華やかさを増してきました。
松緑の梅王丸は、隈もよくできて動きもおおらかで、大変良かったのですが、惜しむらくは声の抜け感が物足りず。あと少しだけいい声が出たらなあ…次回に期待を繋ぎます。
段四郎の時平公、期待通りの好演。が、また痩せたようにも感じる、心配。
意外だったのは種太郎の杉王丸。ちょっと子供っぽすぎるんじゃ無かろうかと思っていましたが、いやこれはこれで(悪であっても)一心に仕える舎人が出来ていて、なかなか。もともと小憎らしい役柄なので、その憎らしさが薄まったのは残念ですが、充分に力を発揮していたように思います。って…ちびちゃんの頃から見ていると見方が甘くなっちゃうかしらね…。

  • 引窓

文句無い。文句、ありません。多くを語ってしまうのが勿体ない「引窓」でした。
吉右衛門はもう少し抑えてもよかったか…入れごとが多かったようにも感じ。いやしかし、全ての配役がビシリと決まって、こういう味わいが出る。
富十郎の濡髪、ちまちましたところが全く無く、自然の風合い。ギリギリまで保つ男の見栄やコダワリが色気と見える。
芝雀のお早、情愛があってほどよく華やかで、すばらしい。
そして、吉之丞のお幸…いま活躍しているなかで、この人以上のお幸は、ちょっと望めないんじゃないかしら。胸にせまる母親でした。
こういうものが沢山、観たいんです。

雀右衛門の小町…可憐。梅玉の業平とともに踊っているのに、小町ばっかり観てしまう。が、少しお疲れのご様子。
染五郎文屋康秀。このひとの持つ愛嬌が生かされて、楽しい舞台に。こりゃ子供に人気出るはずだわー。

さあ本日のメーンエベントですだよ。
幕が開くと手習いの場面。松江の涎くり(まだ現在の魁春が松江だった頃の名前へのイメージが残っていて、どうも役者と役名の組み合わせに違和感が…ごめんなさい玉太郎とっくに改め松江)が、なかなかよろしい。びゃーっと泣き出すところなど写実を感じます…我が子を参考にしたのかしら〜w
幸四郎、出が良い。咳は控えめ。このひとは姿が立派なので控えめぐらいが丁度いい。松王丸は、とてもニンに合ってると思います。が、最後にちょっと余計なことを…評価下がる。
吉右衛門、腹に溜める演技では文句なし。
今回の舞台を観ていて思ったのは、この芝居、最後に舞台以上にいる大人5人、子供1人。の全員が、やむを得ずよってたかって、一人の子供を殺さざるを得ないところに追い詰められてしまうということでした。制度、組織、忠義、といったものの恐ろしさ。改めて「せまじきものは宮仕え」について重いものを感じ取った一幕でした。
それと、これはめずらしいことと思うのですが、「引窓」も「寺子屋」も、一幕の中に凝縮した心理劇が展開されるのですね。そのなかで「引窓」は人一人生かし、「寺子屋」は人一人殺した。どちらも初代吉右衛門にゆかりの深い演目ということで、全く初代を知らない私のような観客にも、何か初代について伝わるものがあったように感じます。
今回、幸四郎吉右衛門が一緒に写ったブロマイドを購入。別にどちらのファンでもないのだけれど、今度いつこんな写真が出るかと考えると、つい…玄関先に飾っとこうかな。