百八記blog

はてなダイアリー「百八記」から引っ越しました。相変わらずの、がさつずぼらぐーたら。

歌舞伎座 一部

いよいよ歌舞伎座も残すところ13日となり、不調をおして行ってまいりました。

今日は個々の演目について述べるのは・・・いや、やっぱり述べておこうか。

  • 御名残木挽闇爭(おなごりこびきのだんまり)

初見、というか、こういうのは今回限りなのであって、若い役者が総出演でだんまりを演じ、曽我物語の対面に絡めて歌舞伎座観客との再会を期すという趣向。
これは趣向が観客に伝わればまず良しというものでしょうから、何か言うのは野暮になりますが・・・
今回は一階席だったので、セリに、わーっと全員が乗って出てくる嬉しさは、ちょっと感動的でした。一階ならでは。いつもの席からだと、奈落で準備中の役者の頭なんかが見えちゃいますから、あれはあれで楽しいけれど。
さて五郎十郎の海老蔵菊之助菊之助は相変わらず良いのだけど、海老蔵はちょっと残念。求められるままに見栄をきったまでなんだろうけど、五郎は五郎なので、もっと血気に逸る感じ、体全体で飛び出していくような感じが欲しかったような。ゼイタクでしょうか。
時蔵舞鶴がきちっと舞台を束ねて、三津五郎の景清と芝雀典侍の局が華を添えました。

  • 熊谷陣屋

藤十郎の相模に私は、新しい相模を発見。いままで、気の毒なお母さんというつもりで見ていたけれど・・・相模には相模で、相応の覚悟のあるところが今回はしっかりと演じられていたような気がします。
吉右衛門の熊谷は立派でした。花道の引っ込みで、私たちの席が揚幕のすぐそばだったこともあり、いつもの席より戦の鐘の音が非常に近く酷く響いて、なるほど熊谷はこういう近さで戦場の音を聴いていたのだと、耳を押さえて走りこむ姿に今更ながら目を開かれる思いでした。息子を亡くした(殺した)思いも痛切ながら、それを含めて自分(を含めた武士)と戦(命の軽い場所)との近さに慄き、幕へ走りこんでゆく姿には、今までのどの熊谷よりも、人としての苦しみを感じさせられました。
弥陀六の富十郎。この人が出てくると、途端に舞台にぐっと奥行きが出たように感じました。けれんみ無く、後悔と真情に溢れた老武士のリアル。この写真がとてもよかったので、買おうとしたら売り切れてしまい・・・次回、買えるといいのだけどなあ!

  • 連獅子

一部の幕切れに相応しい、華やかで豪壮で、エネルギーそのものの舞台でした!
こんな激しさで毎日やっちゃって、もつのかしら・・・と心配になるほど。
殊に勘三郎のよろしさといったら無類。いつもこうならいいのに。激しく、厳しく(スパルタにも程がありますよ親獅子さん)、乱れず、絶えず谷に吹き渡る風のような。
これに勘太郎がよく合わせて、七之助が必死でついていき、場内にはどよめきが起きていました。もうなんだか凄いものをぶつけられてしまったなあと感じました。

休み時間や芝居がはねた後、場内のそこここで写真を撮る姿。通いなれた歌舞伎座に別れを惜しむのでしょう、もちろん我々も。二部がはじまるので、あまりゆっくりと撮ってはいられないのだけど。
歌舞伎座のお稲荷さんは、工事の間どこに行ってしまうのでしょうね。今日ひさしぶりにお参りしましたけども、ほんらいは観客のお参りするところではなく屋台と役者を守るものなのでしょう。建て替えの間もどうぞ歌舞伎を守ってくれますように。